泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」見どころ|3226人の『二条城行幸図屏風』と東福門院
3,226人がひしめく大行列に、十二単や押絵まで。泉屋博古館の寛永行幸展を取材し、歴史初心者でも楽しめる見どころを紹介します。
この記事で分かること
- 二条城行幸図屏風の上下の読み方と3,226人の見どころ
- 現存最古の十二単や押絵など注目展示の楽しみ方
- 会期・料金・展示期間と歴史初心者向けのおすすめ鑑賞順
記事後半に 本展のペア入場券5組10名様へのプレゼント情報があります。
400年前の天皇と将軍の大行列を描いた歴史画――と聞くと、少し難しそうに感じるかもしれません。
ところが泉屋博古館の『二条城行幸図屏風』は、近づいて見るほど「この人は何をしている?」「ここでは宴会をしている?」と、次々に気になる場面が見つかる作品です。
描かれている人物は、なんと3,226人。天皇や将軍だけでなく、行列を見るために集まった京都の人々までぎっしり描かれています。
2026年9月5日から泉屋博古館で開催される寛永行幸四百年記念 特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」をプレス取材しました。

泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」は何が面白い?
寛永3年(1626年)、後水尾天皇が大御所・徳川秀忠、将軍・徳川家光の招きで京都の二条城へ向かいました。
これが「寛永行幸」です。
天皇一家と公家、将軍、全国から集まった大名が京都を進み、二条城では5日間にわたる盛大なもてなしが行われました。
400年前の政治的な一大行事ですが、この展覧会で面白いのは、政治史だけを追う内容ではないことです。
大行列を見物する京都の人々、最高級の衣裳や調度、茶、和歌、工芸、そして身分を越えて交流した文化人たちまで見えてきます。
公式でも展覧会の中心に挙げられているのが、泉屋博古館所蔵の『二条城行幸図屏風』と東福門院(徳川和子)です。
この2つを軸に見ると、江戸時代初期を詳しく知らなくても話がつながっていきます。
まず『二条城行幸図屏風』を遠くから見る。上下で行列の向きが違う

『二条城行幸図屏風』は六曲一双の大画面です。
最初から細部へ近づくより、一度少し離れて全体を見ると、画面が上下二段に分かれていることが分かります。
※「六曲一双(ろっきょくいっそう)」とは、6枚のパネルを連ねた折り畳み式の屏風が、左右一対(2本)で1セットになっているもの
上段は後水尾天皇一行が二条城へ

上段では、人々が画面右側へ進んでいます。
向かう先は二条城です。
後水尾天皇を中心に、東福門院や皇族、公家たちが二条城へ向かう行幸の大行列が続きます。

後水尾天皇が乗る鳳輦を見つけたら、その前後へ視線を動かしてみてください。
行列があまりにも長く、先頭が二条城へ入っても最後尾はまだ御所を出ていないほどだったという規模を、屏風の横長の画面から感じられます。
下段は徳川家光が御所へ向かう

一方、下段の行列は左側へ進みます。
こちらは行幸を前に、将軍・徳川家光が全国の大名を従えて御所へ向かい、後水尾天皇を迎える場面です。
つまり、この屏風では「天皇一行が二条城へ向かう行列」と、「将軍側が御所へ迎えに向かう行列」が上下に描き分けられています。
この仕組みが分かるだけで、巨大な画面のどこを見ているのか迷いにくくなります。
『二条城行幸図屏風』は3,226人。主役を探すだけでも面白い

この屏風に描かれた人物は総勢3,226人です。
歴史上の大イベントを記録した作品でありながら、一人ひとりの姿を追う「人物探し」のような見方もできます。
後水尾天皇の鳳輦を探す
上段で探したいのが後水尾天皇の鳳輦です。
天皇自身の姿が大きく描かれているわけではなく、「どの乗り物に誰が乗っているのか」を知ることで、行列の主役が浮かび上がってきます。
その周囲には楽人なども従い、宮廷側の華やかな行列が続きます。
東福門院和子の牛車を探す
次に探したいのが東福門院和子です。
東福門院は徳川秀忠の娘で、家光の妹。そして後水尾天皇の后となった女性です。
この人物関係を覚えておくと、展覧会後半の衣裳や押絵まで一気につながります。
『二条城行幸図屏風』では東福門院の牛車も描かれています。
「幕府側の徳川家に生まれ、朝廷側で天皇の后となった女性」が、この大行列の中にいると考えると、単なる乗り物探しではなくなってきます。

徳川家光は牛車だけでなく「誰も乗っていない馬」も探したい
下段では将軍・徳川家光の牛車を探してみましょう。
さらに面白いのが、その近くに描かれた、誰も乗っていない馬です。
泉屋博古館では、将軍のための馬として紹介されています。
馬の総飾りには、ほかの馬とは違う特別な色が使われています。
人だけでなく馬具を見ることで、身分や格式まで読み取れるのがこの屏風の面白いところです。
行列より気になる?沿道の「見る人」が自由すぎる

この屏風を見ていて、個人的に一番長く足を止めたくなるのは観客です。
一般的な行幸図では主役となる行列へ目が向きますが、この作品は沿道の見物客の描き込みが非常に濃密です。
桟敷や店先など、いたるところに人がいます。
取材時の解説では、記録にも行幸前夜から人々が集まり、大騒ぎになっていたことが残ると紹介されました。
400年前にも、大きな行事を良い場所で見ようと早くから集まる人がいたのです。
堀川沿いに作られた桟敷席

上段の見物客の足元を見ると、堀川沿いに桟敷が組まれています。
現在の堀川から想像するより、当時は大きな流れがあり、その両側に見物のための場所が設けられていました。
ぎゅうぎゅうに集まった人々を見ると、厳粛な国家行事というより、京都中が沸いた一大イベントだったことが伝わってきます。
茶を楽しむ人、食事を楽しむ人を探す

観客を細かく見ていくと、ただ座って行列を待っている人ばかりではありません。
茶を楽しんでいる人たちや、道具を持ち込んで豪華な食事を楽しんでいる場面まで描かれています。
「天皇の行列を見る日」そのものを、一日がかりの特別なレジャーとして楽しんでいるように見えるのが面白いところです。
幕を張ってくつろぐ一団など、小さな場面ごとに別のドラマが進んでいます。
一人ひとり違う服の柄にも注目

さらに拡大すると、見物客の服装にも驚かされます。
同じような群衆として処理するのではなく、一人ずつ異なる柄や装いが描き込まれています。
行幸を見る作品でありながら、江戸時代初期のファッションを見る資料としても楽しめます。
「今日は特別な日だから、どんな服で出かけよう」と考えていた人もいたのかもしれません。
そんな想像をしながら見ると、400年前の人々が急に近く感じられます。
伊達政宗はどこ?馬の飾りが手掛かりになる
3,226人の中には、有名な大名につながる「謎解き」のような見どころもあります。
将軍に続く大名の列の中に、伊達政宗ではないかと考えられている騎馬人物が描かれています。
ポイントは顔ではなく、馬の飾りです。

多くの馬が華やかな同系色の飾りを付けている中、その人物の馬だけは、将軍の馬と共通するような渋い特別な色合いの総飾りを付けています。
取材時の解説では、政宗が本来は将軍クラスに限られる特別な馬の飾りを用いたことを伝える記録が、この人物を考える手掛かりとして紹介されました。
画中の人物を伊達政宗と断定できるわけではありませんが、武家行列の並び順(序列)は厳格に決まっており、3代将軍・徳川家光や大御所・徳川秀忠の直前または直後を守護・先導する「外様大名の筆頭」として、当時、大大名の重鎮であり最高位(中納言・従三位)であった伊達政宗が先頭と考えられます。
「もしこの人が政宗なら」と記録と絵を照らし合わせて見ること自体が、この屏風の楽しさです。
肉眼で見えない細部は高精細画像で拡大してみたい
3,226人を実物の屏風だけで全部追うのは大変です。

会場では高精細画像を使い、細部を拡大して見るための展示も用意されています。

肉眼では小さすぎる衣裳、しぐさ、馬具、見物客の様子まで追えるので、まず実物で大画面の迫力を感じてから、気になった場所を拡大して見る流れが楽しみやすいでしょう。
「自分だけの面白い人物」を探すつもりで画面を動かすと、かなり長く遊べる作品です。
二条城では何が行われた?「幻の行幸御殿」と最高級のおもてなし
行列が二条城へ到着すると、その先では5日間にわたる盛大なもてなしが行われました。
二条城はこの日のために大きく整備され、現在も残る二の丸御殿の華麗な障壁画なども、その時代の空気を伝えています。
さらに当時は、後水尾天皇らを迎えるための建物も用意されていました。
そこには狩野派の絵が部屋を埋め、室内は金銀を使った調度で飾られていたといいます。
ところが、当時の行幸御殿の姿や調度をそのまま伝えるものはほとんど残っていません。
豪華な純金の調度は、後世に溶かされてしまったものも多かったと取材で解説されました。
そのため展覧会では、少し時代が下った徳川家の最高級の婚礼調度などから、当時の工芸技術や美意識を想像できます。
金を使って豪華というだけではありません。
小さな茶道具では、陶器を作る際の糸切り跡まで別素材で再現するほど、見えにくい部分にも手間がかけられていました。
初公開。行幸御殿の御簾の縁裂と伝わる小さな煙草入

豪華な建物そのものが残っていないからこそ、今回とても面白い展示があります。
彦根藩井伊家に伝わった小さな煙草入です。
取材時の解説では、箱書きから徳川家光が井伊直孝へ贈った品とされ、使われている裂は行幸御殿の御簾の縁に使われたものと伝わると紹介されました。
井伊直孝は寛永行幸でも重要な役割を担った人物です。
その働きへの褒美だった可能性も考えられています。
巨大で豪華だったはずの行幸御殿は消えてしまいました。
しかし手のひらほどの小物に残った赤や緑の裂を見ると、400年前に後水尾天皇を迎えた建物の色彩を想像できます。
「小さいから通り過ぎる」のではなく、背景を知ってからもう一度近くで見たい展示です。

東福門院和子とは?3つの関係だけ覚えると分かりやすい

展覧会の後半へ進む前に、東福門院和子の人物関係を整理しておきましょう。
徳川家光の妹。
後水尾天皇の后。
公式では、日本史上唯一「将軍家に生まれ、天皇に嫁した女性」と紹介されています。
つまり東福門院は、武家の頂点にいた徳川家と、朝廷の中心を結ぶ位置にいた女性でした。
寛永行幸の政治的な背景を全部覚えなくても、「徳川家と天皇家、両方の世界を生きた人」と考えると、展示品の意味が分かりやすくなります。
現存最古の十二単。400年前とは思えない色と刺繍
東福門院の存在を一気に実感できるのが『東福門院御料 唐衣表着』です。

公式では現存最古の十二単として紹介される、非常に貴重な衣裳です。
約400年前のものとは思えないほど色が鮮やかで、紐や帯などにも細かな刺繍が施されています。
「昔の衣裳」として全体を見るだけでなく、菊の文様、色の組み合わせ、刺繍の細さまで近くで見たいところです。
東福門院が徳川家から朝廷へ入り、中宮となった頃の華やかさを想像できる作品でもあります。
この作品の展示期間は2026年9月5日から9月27日までです。
十二単を大きな目的にするなら、会期前半に訪れるのがよいでしょう。
「菊」と「葵」が同居する。東福門院の人生を紋で見る
東福門院ゆかりの品を見るときは、菊と葵の紋にも注目してみてください。
菊は朝廷、葵は徳川家を連想させます。

取材では、蓋を開けると菊と葵の両方が現れる調度『枝菊蒔絵香合』(歯黒箱)や、東福門院が祈りを捧げた仏舎利塔の台座に菊と葵が配された『仏舎利塔塔』も紹介されました。

華麗な工芸品として見るだけでなく、「徳川の娘」と「天皇の后」という2つの立場が、一つの品の中に表れているようにも見えます。
東福門院という人物を知ってから見ると、紋が単なる装飾ではなくなります。
東福門院は作品を持つ人ではなく「作って贈る人」だった
東福門院の面白さは、最高級の衣裳や調度を所有していたことだけではありません。
自ら創作に携わり、大切な相手へ作品を贈っていました。
その代表が「押絵」です。

布を切り分けて貼り合わせ、絵のように人物や能の場面を表現します。
東福門院『能「楊貴妃」押絵』は細い紫の裏地まで見る
公式の主な展示品にも挙げられているのが、東福門院『能「楊貴妃」押絵』です。
小さな布を組み合わせた作品ですが、取材で細部を見せてもらうと驚くほど繊細です。

装束の表だけでなく、袖の内側からほんの少し見える紫色の裏地まで表されています。
さらに装束の蝶の意匠など、能『楊貴妃』の内容や古典の知識を踏まえて布が選ばれていると解説されました。
「きれいな布を貼った手芸」というより、文学、能、服飾、工芸の知識を組み合わせた作品です。
一人で全部作ったのではない。「プロデュースする人」として見る
押絵は、東福門院が一人で下絵からすべてを作ったという単純なものではなかったと考えられています。
取材では、絵師「住吉如慶」など周囲の専門家が関わった可能性も紹介されました。

東福門院が題材や美意識を示し、それを実現できる人々と作品を作り上げる。
現在の感覚なら「クリエイティブディレクター」や「プロデューサー」のような面もあったのかもしれません。
この見方をすると、東福門院が寛永文化の中心人物として紹介される理由が分かってきます。
押絵は「誰に贈ったか」まで見ると人間関係が見えてくる
東福門院は、親しい相手へ押絵を贈っていました。
受け取った側も大切に守ったため、現在まで残ったものがあります。
展覧会では、その作品と一緒に「誰へ贈られ、どのようにつながっていたのか」を追うことができます。
たとえば茶人・千宗旦も、東福門院と深いつながりを持った一人です。
千利休の孫で、のちの三千家へつながる人物ですが、華やかな時代の中でも侘び茶を追求した茶人でした。
身分の高い人物から声がかかっても簡単には動かなかった宗旦が、東福門院とは親しく交流したと考えられているところも面白いポイントです。
東福門院から贈られた押絵を、宗旦側が大切に伝えたことが分かる品も紹介されています。
作品を「作者と作品名」だけで見るのではなく、「この人から、この人へ贈られた」と人間関係で見ると、展示室が急ににぎやかになります。
後水尾天皇も「作品を見る人」ではなく、自分で作る文化人だった
展覧会後半では、後水尾天皇の印象も変わります。

『二条城行幸図屏風』では大行列の中心にいる天皇ですが、文化の展示へ進むと、自ら和歌を書き、文化人と交流し、さらに手を動かして物を作った人物として見えてきます。
公式の主な展示品には、後水尾天皇『和歌懐紙 詠寝覚月』も挙げられています。

天皇自筆の書を見るときは、文字の意味だけでなく、線の強弱や書き方にも注目してみてください。
取材では、力強い「宸翰」のイメージとは違う、力を抑えた柔らかな書も紹介されました。
同じ人物が、場面に応じて異なる表現を使っていたことが分かります。
後水尾天皇と一絲文守。詩を贈ったら、和歌で返ってきた
江戸時代初期の文化人の交流を感じやすいのが、後水尾天皇と禅僧・一絲文守の関係です。
一絲文守は後水尾天皇から深い帰依を受けた禅僧で、書にも優れた人物でした。

取材では、一絲文守が山中での暮らしを漢詩にして後水尾天皇へ送り、天皇がその詩を受けて和歌を返した品が紹介されました。
天皇と僧という身分だけを見ると遠い世界のようですが、「作品を送り、それを読んだ相手が別の作品で返す」と考えると、とても個人的な交流に見えてきます。
寛永文化では、身分の違う人々がこうして深いところでつながっていたことも大きな特徴です。
後水尾天皇の指が入った跡?自ら成形に関わったと伝わる水指
今回の取材で、貴重な品だと感じた一つが、後水尾天皇が自ら成形に関わったと伝わる水指です。
※水指(みずさし)とは、茶道で釜に足す水や、茶碗・茶筅を清めるためのきれいな水を蓄えておく、蓋付きの容器

取材時の解説では、伝承だけではなく、後水尾天皇自身が成形に関わり、一絲文守ゆかりの寺へ届けられたことを示す記録が伴う、非常に確かな例として紹介されました。
隣に並ぶ洗練された名工の作品とは、かなり印象が違います。
ところが蓋のつまみ部分を見ると、指がすっと入ったようなくぼみがあります。
学芸員の解説では「この指の跡が後水尾天皇の指かもしれない」と紹介されました。

大行列では鳳輦の中にいて姿の見えにくかった後水尾天皇が、ここでは土に触れた一人の作り手として急に身近に感じられます。
400年という時間を一番短く感じさせてくれる展示かもしれません。
小堀遠州、千宗旦、野々村仁清。寛永文化は「スター同士の交流」で見ると分かりやすい
「寛永文化」と聞くと、学校で暗記する文化史のように感じるかもしれません。
この展覧会では、人から人へのつながりとして見ると理解しやすくなります。

小堀遠州は二条城の整備や寛永行幸の準備にも深く関わりながら、一流の茶人として美意識を発揮しました。
千宗旦は利休の侘び茶を受け継ぎ、東福門院とも交流しました。

野々村仁清は、京焼を代表する陶工として洗練された造形を生み出します。
後水尾天皇や東福門院も、完成した美術品を眺めるだけの存在ではありません。
書き、作り、贈り、注文し、優れた人をつなぐ側にいました。
「公家」「武家」「僧」「茶人」「職人」と分類して覚えるより、「この人とこの人がつながっていた」と見る方が、この時代の文化の面白さが伝わってきます。
この順番で見ると楽しみやすい
歴史用語を全部理解してから行く必要はありません。
会場では、次の順番を意識すると人物関係がつかみやすくなります。
- 『二条城行幸図屏風』で400年前の京都の熱気を見る
- 東福門院が徳川家と天皇家をつなぐ人物だと覚える
- 十二単や調度で東福門院の立場を見る
- 押絵から「作って贈る人」だったことを知る
- 後水尾天皇や千宗旦らとの交流へ広げる
- 最後は好きな書、茶道具、陶芸を一つ見つける
歴史上の出来事から入り、最後は一人ひとりの好みや手仕事へ近づいていく展覧会です。
『二条城行幸図屏風』で3,226人の中から気になる人を探したように、後半でも「自分が好きな一品」を探すと楽しみやすいでしょう。
泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」開催概要
寛永行幸四百年記念 特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」は、2026年9月5日から10月18日まで泉屋博古館で開催されます。
- 会期:2026年9月5日(土)~10月18日(日)
- 開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
- 休館日:月曜日。ただし9月21日、10月12日は開館。9月24日、10月13日は休館
- 会場:泉屋博古館(京都東山・鹿ヶ谷)
- 入館料:一般1,200円、学生800円、18歳以下無料
- 『東福門院御料 唐衣表着』展示期間:9月5日~9月27日
本展覧会の入場料でブロンズギャラリーも鑑賞できます。
オンライン当日券は一般1,100円、学生700円で販売予定です。販売条件や最新情報は来館前に公式ページをご確認ください。
また大阪・関西万博のレガシー 住友館の一部展示を見ることもできます。
【アフター万博】京都・泉屋博古館で「住友館」展示が公開
『二条城行幸図屏風』は、歴史画より「400年前の京都をのぞく窓」として見たい
『二条城行幸図屏風』の面白さは、天皇と将軍の大行列が描かれていることだけではありません。
桟敷に集まり、茶を飲み、食事をし、思い思いの服で一日を楽しむ人々まで残されています。
3,226人の中には、こちらがまだ気付いていない小さな物語がいくつもありそうです。
そして屏風の先には、東福門院が作らせ、贈った押絵、後水尾天皇の書や手仕事、千宗旦、小堀遠州らとの交流が続きます。
400年前という遠い時代を、「政治の出来事」ではなく「人が集まり、作り、贈り、楽しんだ時代」として見られるのが、この展覧会の大きな魅力です。
泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」よくある質問
江戸時代初期の歴史を詳しく知らなくても楽しめますか?
楽しめます。最初は『二条城行幸図屏風』の観客や服装など、目で見て分かる面白さから入るのがおすすめです。
東福門院は「秀忠の娘・家光の妹・後水尾天皇の后」という3つの関係だけ覚えておくと、その後の展示もつながりやすくなります。
『二条城行幸図屏風』で最初に探すならどこですか?
まず上段の後水尾天皇の鳳輦、東福門院の牛車、下段の徳川家光側の行列を探すと全体像がつかめます。
その後、桟敷で茶や食事を楽しむ観客へ視線を移すと、この屏風ならではの面白さが見えてきます。
『二条城行幸図屏風』は細かすぎて見えませんか?
実物では大画面全体の迫力を楽しみ、細部は会場の高精細画像で拡大して見るのがおすすめです。
3,226人の服装やしぐさまで追えるので、実物と拡大画像を往復すると発見が増えます。
東福門院の十二単はいつでも見られますか?
『東福門院御料 唐衣表着』の展示期間は2026年9月5日から9月27日までです。
この作品を目的に訪れる場合は、会期前半の日程を選ぶとよいでしょう。
東福門院の押絵は、どこに注目すると面白いですか?
布そのものの美しさだけでなく、人物の表情、装束の重なり、わずかに見える裏地まで見てください。
『能「楊貴妃」押絵』では、能や古典の知識まで布の選び方に反映されており、小さな画面に非常に多くの情報が詰まっています。
京都文化博物館 特別展「寛永 太平がはぐくむ美」見どころ!寛永行幸と寛永文化を名刀・障壁画・光悦の名品からたどる









