400年前の寛永行幸は「見る人」もすごかった!泉屋博古館で二条城行幸図屏風を公開
400年前の京都を熱狂させた寛永行幸。その空気を今に伝える二条城行幸図屏風と初公開資料から、花の都の文化をひもときます。
この記事で分かること
- 泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」の見どころ
- 『二条城行幸図屏風』から分かる400年前の京都の盛り上がり
- 幻の「行幸御殿」を知る手掛かりとなる初公開資料
- 東福門院和子を起点に広がる寛永文化と文化人の交流
- 現存最古の十二単や東福門院が手掛けた押絵
2026年12月6日に再現される「行幸行列再現イベント」。
その400年前の姿を知る上で、非常に重要な作品があります。
泉屋博古館が所蔵する『二条城行幸図屏風』です。
この作品は寛永行幸四百年祭のキービジュアルにも使われ、2026年の行列再現では、装束や観衆の姿を考える重要な資料のひとつにもなっています。
泉屋博古館では2026年9月5日から10月18日まで、
寛永行幸四百年記念 特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」
を開催します。
『二条城行幸図屏風』を中心に寛永行幸を振り返るだけでなく、東福門院和子という一人の女性を起点に、公家、武家、茶人、芸術家らが身分を越えてつながった「寛永文化」までたどる展覧会です。
取材レポートはこちら
泉屋博古館「寛永行幸と花の都の文化びと」見どころ|3226人の『二条城行幸図屏風』と東福門院
なぜ泉屋博古館で寛永行幸400年の特別展?
メディア説明会では、泉屋博古館がなぜ寛永行幸400年の展覧会を開催するのかについて、非常に明快な説明がありました。
その大きな理由が、
『二条城行幸図屏風』を所蔵していること。

《二条城行幸図屏風》(左隻)江戸時代・17世紀 京都市指定文化財 泉屋博古館
1626年の寛永行幸を描いたこの屏風は、今回の400周年事業でも象徴的な存在となっています。
泉屋博古館の公式資料では、史実を踏まえた確かな記録性、熱気あふれる風俗描写、細部まで描き込まれた表現を特徴として、類品の中でも随一と紹介されています。
人物を遠くから眺めるだけでなく、一人ひとりの服装や動き、行列を見ている人々にも目を向けたい作品です。
主役は天皇や将軍だけじゃない。「観客」がびっしり

《二条城行幸図屏風》部分:後水尾天皇の鳳輦(左隻)
江戸時代・17世紀 京都市指定文化財 泉屋博古館
一般的な行幸図で中心になるのは、天皇や将軍など行列の主役たちです。
ところが『二条城行幸図屏風』を見ると、それだけではありません。
沿道で行列を見る人々が、驚くほど大量に描かれています。
画面の中に人、人、人。
建物の中、桟敷、沿道など、さまざまな場所から行列を見る人の姿が描き込まれています。
史実を伝える資料でありながら、400年前の京都の人々の表情や服装まで探していけるところが、この屏風の面白さです。
本当にこんなに人がいた?前夜から桟敷に人が集まった
説明会では非常に興味深いエピソードも紹介されました。
屏風にこれほど大量の観客が描かれていると、
「絵だから大げさに描いたのでは?」
と思うかもしれません。
ところが文献を調べると、行幸の前夜から堀川周辺には桟敷が設けられ、人々が集まっていたことが分かったといいます。
400年前にも、翌日の行列を見ようと前夜から多くの人が集まっていたのです。
寛永行幸は朝廷と幕府による大規模な政治儀礼であると同時に、京都の町全体が沸き立つほどの「見物イベント」でもありました。
『二条城行幸図屏風』を見るときは、行列だけを追うのではなく、画面上部などに描かれた観客にも注目してみてください。
だから2026年は「観客」まで再現する
この屏風の世界は、2026年12月6日の再現行列にもつながっています。
今回の行列では、行列参加者だけでなく、観客が装束を身につけて観覧する「装束観覧席」も設定されました。
つまり、
400年前の屏風に描かれた「見る人たち」まで現代によみがえらせようとしている
のです。
再現行列を見る前に『二条城行幸図屏風』を見ておけば、「なぜ観客まで装束を着るのか」という企画の意味も分かります。
幻の「行幸御殿」はどんな場所だった?
今回の展覧会では、行列だけでなく、二条城の中で行われた盛大なもてなしにも注目します。
当時の二条城には、後水尾天皇を迎えるための「行幸御殿」が造られていました。
しかし、行幸御殿は行幸後の寛永5年(1628年)に仙洞御所へ移築され、現在の二条城には残っていません。
説明会では、二条城に存在した期間が非常に短かったことから、いわば「幻の建物」として紹介されました。
内部にどのような調度が並び、どのような空間だったのか。
現在では分からない部分も多く残っています。
初公開。行幸御殿の御簾の裂を使ったと伝わる「煙草入」
その「幻の行幸御殿」を考える上で、非常に興味深い資料も今回紹介されます。
彦根藩井伊家に伝わった小さな煙草入です。
説明会によると、箱書きには徳川家光から井伊直孝へ贈られた品であることが記され、使われている2色の裂は、
行幸御殿の御簾の縁に使われていた裂を再利用したものと伝わっています。
行幸御殿そのものは、現在の二条城にはありません。
それでも残された小さな布から、
「天皇を迎えるためにどのような空間が造られていたのか」
を想像することができます。
説明会で学芸員の方が思わず、
「すごいでしょ。すごさ分かりますかね?」
と話したほど、今回の調査によって注目された資料です。
徳川家の財力と工芸技術を伝える華麗な調度
二条城の行幸御殿では、金銀を用いた豪華な調度を並べて後水尾天皇を迎えたとされています。
ただし、説明会では行幸御殿で実際に使われた調度そのものを探したものの、確認できなかったことも紹介されました。
そこで展覧会では、寛永行幸から約10年後、徳川家光の娘・千代姫が尾張徳川家へ嫁いだ際の豪華な婚礼調度などを紹介します。
行幸御殿で使用された品そのものではありませんが、当時の徳川家が最高級の調度をどのように作らせていたのかを知る手掛かりになります。
単に「金をたくさん使った豪華な品」というだけではありません。
細かな装飾や素材まで見ると、徳川家の財力とともに、当時の工芸技術の高さにも目を向けられます。
もう一人の中心人物「東福門院和子」

《東福門院像》江戸時代・文政10年(1827) 京都市指定文化財 光雲寺
『二条城行幸図屏風』と並ぶ、展覧会のもうひとつの大きな軸が東福門院和子です。
徳川秀忠の娘であり、家光の妹。
そして後水尾天皇の中宮となりました。
公式資料では、
将軍家に生まれ、天皇の后となった日本史上唯一の女性
として紹介されています。
元和6年(1620年)、14歳で後水尾天皇のもとへ入内。
朝廷と幕府の間には政治的な緊張もありましたが、後水尾天皇との間には姫宮が生まれ、寛永行幸の頃には公武融和のムードが大きく高まっていました。
寛永行幸が実現した背景だけでなく、その後の文化の広がりを知る上でも重要な人物です。
現存最古の十二単。東福門院の最高級の衣裳を見る
東福門院の存在を視覚的に感じられる大きな見どころが、『東福門院御料 唐衣表着』です。

《東福門院御料 唐衣表着》
江戸時代・17世紀 京都府指定文化財 霊鑑寺【展示期間:9月5日~9月27日】
公式資料では現存最古の十二単として紹介されている貴重な衣裳です。
緑と橙を基調とした色彩に、白い菊の文様が繰り返される華やかな姿。
「徳川将軍家の娘であり、天皇の后」という東福門院の立場を、衣裳から感じられる作品でもあります。
ただし展示期間は9月5日から9月27日まで。
この衣裳を見たい場合は、展覧会前半に訪れる必要があります。
東福門院は「文化を受け取る人」だけではなかった
東福門院は、豪華な衣裳や調度を所有しただけの人物ではありません。
自ら文化活動に関わり、作品の制作にも深く関わっていました。
その代表的なものが「押絵」です。
染織品を切って貼り合わせ、人物や演能の場面などを表現する工芸で、東福門院自身がデザインや構想に深く関わったとみられています。

東福門院《能「楊貴妃」押絵》江戸時代・17世紀 泉屋博古館
『能「楊貴妃」押絵』では、小さな染織片を組み合わせながら、装束をまとった人物が表現されています。
使われている素材そのものの美しさはもちろん、衣裳の組み合わせや人物表現にも注目したい作品です。
公式資料では、これらの押絵が皇族、大名、僧侶、茶人など、東福門院と親交のあった人々にゆかりのある場所へ伝わっていることも紹介されています。
作品そのものだけでなく、
「東福門院が誰に贈ったのか」
まで考えると、人と人を結んだ文化的なネットワークが見えてきます。
東福門院から身分を越えて広がった文化人のつながり
展覧会はさらに、茶、和歌、工芸などへ広がります。
後水尾天皇、千宗旦、松花堂昭乗、小堀遠州、野々村仁清など、寛永期を代表する文化人たちが登場します。
重要なのは、文化を担った人が公家や武家だけではないこと。
茶人や芸術家なども交わり、公・武・民が身分を越えて刺激し合う中から、個性豊かな文化が生まれていきました。

《鶏撮丸香炉》野々村仁清 江戸時代・17世紀 泉屋博古館東京
野々村仁清の『鶏撮丸香炉』も、その時代の工芸を楽しめる作品のひとつです。
丸い器の上に鳥がちょこんと乗った姿は、歴史資料という言葉から想像する堅い印象とはかなり違います。
寛永文化を詳しく知らなくても、造形や色使いなど「好きな作品を探す」感覚で楽しめるでしょう。
タイトルにある「花の都の文化びと」の通り、単なる歴史資料展ではなく、寛永という時代に生きた人々がどのようにつながり、美を生み出したのかを見る展覧会となっています。
小袖が武家から御所、公家社会へ広がっていく
東福門院は大量の小袖を注文していたことでも知られています。
尾形光琳の父や親族が営んだ呉服商・雁金屋などの記録には、東福門院から数多くの小袖を受注したことが残されています。
刺繡、絞り、黒紅染などを使った豪華な小袖。
しかも東福門院は自分のためだけでなく、皇女や女官など周囲の女性にも小袖を贈っていました。
公式資料では、もともと武家中心だった小袖が、御所、そして公家社会へ広がる契機にもなったと紹介されています。
一人の女性の装いを追っていくだけでも、公家と武家の文化が混ざり合っていく様子を見ることができます。
行列を見るなら、先に『二条城行幸図屏風』を見ておきたい
2026年12月6日に約330人で再現される寛永行幸の行列。
その姿をイメージする上で、泉屋博古館の『二条城行幸図屏風』は重要な手掛かりです。
屏風に描かれた行列。
その周囲を埋め尽くした観客。
華やかな装束。
そして400年後、京都の町に再び現れる装束姿の行列と観衆。
展覧会を見てから12月6日を迎えると、単なる時代行列ではなく、
「屏風に描かれた世界が400年後の京都によみがえる」
ような感覚で楽しめそうです。
さらにこの展覧会では、行列だけでなく東福門院を中心に広がった文化まで見ることができます。
『二条城行幸図屏風』で400年前の「熱気」を感じ、衣裳や押絵、茶道具、工芸からその時代の「美」を見る。
この2つを一緒に楽しめることが、泉屋博古館の特別展ならではの魅力です。
寛永行幸四百年記念 特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」開催概要
寛永行幸四百年記念 特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」
開催期間
2026年9月5日(土)~10月18日(日)
開館時間
10:00~17:00
※最終入館16:30
休館日
月曜日
※9月21日、10月12日は開館
9月24日(木)、10月13日(火)は休館
会場
泉屋博古館
京都府京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
入館料
一般:1,200円(20名以上の団体 1,000円)
学生:800円(20名以上の団体 700円)
18歳以下:無料
※学生・18歳以下の方は証明書の提示が必要です。
※障がい者手帳などを提示した本人と同伴者1名まで無料です。
※上記料金で併催のブロンズギャラリーも観覧できます。
※『東福門院御料 唐衣表着』は9月5日~9月27日の期間限定展示です。
※最新の展示情報、イベント情報は泉屋博古館公式サイトをご確認ください。
【アフター万博】京都・泉屋博古館で「住友館」展示が公開
京都文化博物館 特別展「寛永 太平がはぐくむ美」見どころ!寛永行幸と寛永文化を名刀・障壁画・光悦の名品からたどる




